昭和の銀幕を照らした「澄子」の突然すぎる別れ――星由里子さんを急襲した極めて稀な病魔の真実
星 由里子 死因の背後には、現代医療をもってしても早期発見が極めて困難とされる異例の病変が存在していた。東宝映画の黄金期を支え、『若大将シリーズ』のヒロイン・澄子役で一世を風靡した女優、星由里子さん。2018年5月、新緑が眩しい京都の病院で74年の生涯に幕を下ろした報せは、映画界のみならず日本中に強烈な痛切さをもたらした。あまりにも突然だった。少し前まで元気に現場に立ち、凛とした佇まいで観客を魅了していた彼女が、なぜこれほど呆気なく旅立たねばならなかったのか。
公表された病名は「心房中隔肉腫」。一般にはほとんど知られていないこの疾患こそが星 由里子 死因の直接的な要因であり、心臓そのものに原発性の悪性腫瘍が生じるという、国内でも年間でごくわずかな症例しか報告されない難病だった。体調の異変を感じてからわずか数ヶ月での旅立ち。関係者が一様に「信じられない」と絶句した理由は、その進行速度のあまりの苛烈さにあった。
昭和の永遠のマドンナを急襲した「心房中隔肉腫」という病魔
心臓にがんができる――そう聞いても、直感的にピンとこない人の方が多いはずだ。胃や肺、大腸とは異なり、心臓を構成する細胞は成人になるとほとんど分裂を繰り返さない。そのため、通常悪性腫瘍が発生すること自体が奇跡的なほど稀なのだ。心臓腫瘍全体の約75%は良性であり、悪性の「肉腫(サルコーマ)」が発生する頻度は天文学的な低さと言っていい。
その極めて稀な病が、よりによって心臓の左心房と右心房を隔てる壁である「心房中隔」に巣食った。血液の循環をコントロールする中枢部に腫瘍ができたことで、血流障害や不整脈、肺うっ血などを次々と誘発したとみられる。静かに、しかし確実に生命のポンプを蝕んでいく肉腫。それは自覚症状が出た段階ではすでに、外科的な切除や根治が容易ではない段階に達していることが多い、極めて残忍な病魔だった。
初発からわずか数ヶ月、京都の病室で迎えた急転直下の最期
異変の兆候が現れたのは、逝去のわずか数ヶ月前、2018年の年明けから春先にかけてのことだった。身体の倦怠感や息苦しさを訴えた星さんは、生活の拠点としていた京都の病院で検査を受ける。当初は加齢に伴う体調不良や心疾患が疑われたかもしれない。しかし、精密検査が下した診断結果は、残酷な現実を突きつけるものだった。
4月下旬に入院してからの推移は、まさに急転直下だった。名優としての気丈さを保ち、弱音を吐くことを嫌った星さん。病室でも医師や看護師に常に穏やかに微笑みかけ、感謝を口にしていたという。だが病状の悪化は待ってくれなかった。入院から1ヶ月にも満たない5月16日夜、夫に見守られながら、呼吸を静かに引き取った。74歳。女優として円熟味を増し、まだまだこれからの活躍を誰もが信じて疑わなかった時期の悲劇だった。
加山雄三の慟哭「僕の澄子さん」――映画界が受けた激震
訃報が列島を駆け巡った直後、誰よりも大きな衝撃を受けたのが、『若大将シリーズ』で長年スクリーン上の恋人として共演し続けた加山雄三氏だった。「澄子、どうしてそんなに急ぎ足で行っちまったんだ」。絞り出すような追悼コメントには、半世紀以上を共に駆け抜けた戦友を失った男の、飾らない慟哭が滲み出ていた。
星さんが演じた澄子は、単なる守られるヒロインではなかった。勝気で、時に若大将を翻弄し、それでも最後はとびきりの笑顔で包み込む。戦後日本が豊かさを求めて疾走していた昭和30年代から40年代、彼女のショートカットと健康的な美しさは、若者たちの理想の青春そのものだった。共演した俳優仲間や撮影クルーは口を揃えて「現場に入るとパッと花が咲くような人だった」と振り返る。その太陽のような存在が忽然と消えた喪失感を、当時の映画界は容易には埋められなかった。
なぜ心臓の悪性腫瘍は見逃されやすいのか? 現代医療でも残る壁
星さんの事例は、医療現場における心疾患・希少がんの難しさを改めて浮き彫りにした。心臓肉腫の初期症状は、一般的な息切れ、疲労感、動悸、あるいは微熱といった曖昧なものばかりだ。「年のせいか疲れやすい」「少し風邪気味かもしれない」と見過ごされがちで、一般的ながん検診(胃カメラや胸部X線、血液検査など)ではまず引っかからない。
確定診断を下すためには、心エコー検査をはじめ、心臓MRIや造影CTといった高度な画像診断が不可欠となる。しかし、健康な人間が定期検診でいきなり心臓MRIを撮るケースはまずない。症状が顕著になり、循環器の専門医が「通常の心不全や弁膜症とは何かが違う」と疑いを持ったときには、すでに腫瘍が浸潤・増大しているケースが後を絶たない。彼女を襲った病魔は、現代の先進医療の網の目をもすり抜ける狡猾さを持っていた。
病床でも失わなかった女優魂と、最期まで見守った家族の絆
波乱万丈の人生だった。華やかな芸能界の頂点に立ちながら、私生活では結婚と離婚を経験し、人生の後半に出会った実業家の夫と京都で静かに、しかし満ち足りた日々を紡いでいた。古都の四季を愛し、骨董を愛で、穏やかな日常を噛み締めていた星さんにとって、京都は人生の安らぎの地だった。
入院中、苦しい呼吸の中でも取り乱すことは一切なかったと伝えられている。見舞いに訪れる家族や限られた関係者に対しても、やつれた顔を見せるまいと身なりを整えようとした。それは見栄などではなく、最期の一瞬まで「女優・星由里子」としての誇りと美学を手放さなかった証左だろう。愛する夫の手を握りながら迎えた最期は、激しい病の進行とは裏腹に、驚くほど静謐な幕引きだった。
2026年の今なお色褪せない、銀幕の星由里子が遺した光彩
星由里子さんが旅立ってから時が流れた2026年の現在も、彼女がスクリーンに刻みつけた生命力はまったく色褪せていない。配信サービスや4Kデジタルリマスター化によって、往年の名作が若い世代にも再発見されている今、若大将の横でくるくると表情を変える澄子の魅力は、いっそう鮮烈に映る。
突然の病に倒れ、74歳で駆け抜けた人生。だが、遺された数々のフィルムやドラマの映像を見る限り、彼女は永遠にみずみずしく、理知的な瞳でこちらを見つめ返してくる。稀有な病魔によって肉体は奪われたかもしれない。しかし、昭和という時代を駆け抜け、人々の記憶に刻みつけられたあの気品ある微笑みだけは、どのような病であっても決して奪い去ることはできなかったのだ。 (出典: 星 由里子 死因(Yahoo!ニュース))