行列の主役「ハーブス」に異変? 1ピース1400円超の時代に「大味で飽きる」と不満が噴出する理由
ハーブス ケーキ 美味しく ないという不穏な検索キーワードが、2026年を迎えた今、SNSやグルメレビュー欄でかつてない頻度で見受けられるようになった。銀色のアルミホイルに包まれた圧倒的な存在感、何層にも重なる旬のフルーツと乳脂肪の分厚い層。長年にわたり行列を作るカフェの代名詞として君臨してきた名店に、一体どのような風向きの変化が起きているのだろうか。かつては贅沢と幸福の象徴だったあの巨大な一切れが、一部の消費者にとって「重すぎる負担」へと変貌しつつある。
週末の銀座や梅田、名古屋の店舗前を覗けば、依然として熱心なファンが列をなしているのは事実だ。しかし、原材料高騰に伴い看板メニューのミルクレープが1ピース1,000円台半ばへと突入した今、ネット上でハーブス ケーキ 美味しく ないと吐露する声は単なる好みの問題を超え、コストパフォーマンスに対するシビアな審判へと姿を変えている。「途中でフォークが止まる」「最後はクリームを削ぎ落として食べた」——そうした赤裸々な告白は、もはや珍しくない。
「甘すぎ、大きすぎ」現代の舌が拒絶するアメリカンサイズと生クリームの暴力
ハーブスの代名詞といえば、直径24センチ(8号)のホールから切り出される圧倒的なボリューム感だ。「心まで満たされるケーキ」という創業以来のコンセプトは、バブル期から平成にかけての消費者の胃袋を掴んで離さなかった。しかし、令和の現代において、この美徳そのものが仇となり始めている。
現代日本のスイーツトレンドは、徹底した「軽さ」と「繊細さ」へ傾倒している。コンビニスイーツですら糖質オフや軽やかな植物性ブレンドクリームを研究し、有名パティスリーは柑橘の酸味やハーブの香りを効かせた多層的な味わいで勝負する。その文脈でハーブスのケーキを口に放り込むとどうなるか。最初の二口までは幸福の絶頂だ。だが、中盤から濃厚なカスタードと動物性生クリームの脂質が舌に張り付き、逃げ場を失う。胃袋が悲鳴を上げるのだ。大味、くどい、胸焼けする。そうした不評の正体は、時代と共に変化した私たちの食生活と、創業時から頑なに変わらないボリューム感とのミスマッチにある。
価格高騰が招いた心理的ハードル:1ピース1,400円の期待値崩壊
味覚の評価を決定づけるのは、舌の受容体だけではない。支払った対価とのバランス、すなわち「期待値」の存在を無視することはできない。
2020年代半ばから続く世界的なバター不足、カカオ豆の歴史的暴騰、そして物流コストの上昇。あらゆる要因が重なり、ハーブスのケーキは毎年のように価格改定を余儀なくされてきた。現在、定番のミルクレープは1ピース1,000円を大きく超え、季節限定のフルーツタルトに至っては1,400円から1,600円台に届く勢いだ。ケーキ1つと紅茶を頼めば、カフェでの滞在費は容易に2,500円を超える。
千数百円という価格設定は、一流ホテルのラウンジや、気鋭のパティシエが技術を凝らした最高峰のプティガトーと同等か、それ以上の水準だ。客は無意識のうちに「息をのむような洗練」を期待して席に着く。しかし運ばれてくるのは、飾り気のないアルミホイルに巻かれた、極めて古典的で豪快なケーキだ。この「支払った金額」と「体験の緻密さ」のギャップこそが、「高いだけで美味しくない」という冷淡な口コミを量産する元凶となっている。
「昔と味が変わった」は本当か? 原材料高騰とパティスリー界の構造変化
レビュー欄を丹念に追うと、長年通い詰めた古参ファンからの「昔よりクオリティが落ちたのではないか」という疑念の声に突き当たる。生クリームのコクが薄くなった、スポンジがパサついている、フルーツの糖度が落ちた——そうした真偽不明の憶測が後を絶たない。
実際のところ、ハーブス側が公にレシピの劣化やコストカットを認めた事実はない。むしろ「冷凍保存を一切せず、注文を受けてからカットする」「毎朝自社工場で仕込む」というフレッシュネスへの拘りは、業界内でも依然として高い水準を誇る。では、なぜ「味が落ちた」と感じるのか。
パティスリー関係者は、周囲のレベルアップによる相対的な沈下を指摘する。近年、日本の製菓技術は目覚ましく進化し、街の小さなケーキ屋でも驚くほど口どけの良い生クリームや、産地指定の高品質なフルーツが当たり前に使われるようになった。ハーブスが「変わってしまった」のではなく、周囲のスイーツが洗練され尽くした結果、ハーブスの武骨な手作り感が「野暮ったい味」として露呈してしまったという見方が妥当だろう。
名物「ミルクレープ」に集中する批判:水分量とフォークを入れた瞬間の崩壊感
ハーブスの看板商品であり、最も注文されるミルクレープ。だが皮肉にも、最も厳しい批判に晒されているのもまた、この金字塔である。
不満の多くは、そのテクスチャーと構造的な欠陥に集中している。何層にも挟み込まれたバナナ、キウイ、イチゴ、メロンといった瑞々しいフルーツ。時間が経つにつれ、フルーツから浸出した水分が極薄のクレープ生地とカスタードクリームを侵食していく。フォークを入れた瞬間、全体がぐしゃりと崩れ、皿の上でクリームと果汁が混ざり合った無残な状態になる。綺麗に食べることが極めて難しいのだ。
さらに、底面のクレープ生地が水気を吸って「ベチャついている」と感じる食べ手も多い。フルーツの酸味と生クリーム、カスタードのバランスは一見完璧に思えるが、水分コントロールという製菓技術の観点から見れば、あまりにもリスキーな構成だ。繊細な層の重なりを楽しむはずのクレープが、最後には甘いペーストの塊をスプーンで掬うような作業になってしまう。この体験の損なわれ方が、評価を著しく落としている。
ワンドリンク制への不満が生む「ケーキ体験」全体の減点
イートインを利用したことのある者なら誰もが知っている、ハーブス独特の鉄則がある。「1人1ドリンクオーダー制」だ。ケーキを頼もうが頼むまいが、着席した以上は必ずドリンクを注文しなければならない。
このシステムが、利用者の不満に油を注いでいる。ハーブスのドリンク類はポットサービスの紅茶やオリジナルブレンドコーヒーなど、安くとも900円前後はする。ケーキの巨大さを知っている客からすれば、「二人でケーキを1つシェアし、ドリンクをそれぞれ頼みたい」と考えるのは自然な心理だ。しかし、店側はシェアを前提とした利用を歓迎しない雰囲気が漂う。
結果として、巨大なケーキを1人1つ抱え、さらに大きなカップの飲み物を前にして立ち往生することになる。満腹と胸焼けに苦しみながら店を出た客の脳裏に残るのは、「無理やり食べさせられた」という疲弊感だ。接客オペレーションやルールに対する小さな苛立ちが、最終的なケーキの味に対するネガティブな評価へと転嫁されている側面は否定できない。
ハーブスを絶賛する層と失望する層、決定的な「味覚の断絶」
ここまで厳しい現実を並べ立ててきたが、ハーブスが今なお全国の主要都市でフロアの主役であり続けているのも紛れもない事実である。そこには、明確な顧客層の断絶が存在する。
ハーブスを熱烈に支持するのは、「昭和・平成のクラシックな喫茶文化」や「ご褒美としてのわかりやすい満腹感」を求める層だ。薄いスポンジに頼らず、純粋にフルーツとクリームの塊を口いっぱいに頬張る背徳感。これこそが至高であり、多少の甘ったるさや大味さこそがハーブスのアイデンティティだと彼らは信じている。この層にとって、近年の洗練された小さなムースケーキなど物足りなくて話にならない。
一方で、失望を隠せないのは、SNSの映えや評判だけを頼りに訪れたライト層や、現代的なパティスリーの研ぎ澄まされた味に慣れ親しんだ若い世代だ。「有名だから」と足を運んだ結果、予想外の重厚さに打ちのめされ、スマートフォンの画面に不満を打ち込むことになる。ハーブスが不味くなったのではない。あの銀の包み紙の中に包まれているのは、時代に迎合することを拒んだ、不器用なまでに巨大な過去の記憶そのものなのだ。 (出典: ハーブス ケーキ 美味しく ない(Yahoo!ニュース))