奇跡の1枚から10年。ゆにばーす・はらのメイクが今、ルッキズムを超えた「究極の自己解放」と呼ばれる理由
ユニバース はら メイクという言葉が世間を揺さぶり始めてから、私たちは何度その劇的な変貌に息を呑んできただろうか。お笑いコンビ「ゆにばーす」の舞台で見せる愛嬌たっぷりの笑顔と、雑誌の表紙を飾る息を呑むような「美女」の肖像。その落差は、かつてバラエティの文脈において「詐欺」という刺激的なラベルで消費された。だが、時代の針が大きく進んだ今、彼女の筆先から生み出される造形を単なる悪ふざけと呼ぶ者はもういない。
スマートフォンのAI補正フィルターがどれほど進化しようとも、生身の皮膚と骨格に直接対峙し続ける彼女の技術には敵わない。デジタル加工によるバーチャルな美が溢れかえった反動からか、現実の鏡の前で己の容姿を再構築してみせるユニバース はら メイクは、2026年を迎えた今、美の概念そのものを軽やかに更新する文化的アイコンとして再評価されている。顔面をひとつのキャンバスと見立て、誰にも頼らず自力で「理想の自分」をもぎ取るその姿は、多くの人々に強烈な勇気を与え続けているのだ。
「詐欺」と呼ばれた技術が、時代を経て「アート」と再定義されるまで
かつてSNSを席巻した「奇跡の1枚」の裏には、膨大な試行錯誤があった。100円ショップのプチプラコスメから始まった探求は、パーツごとの光と影の物理的検証へと発展した。彼女が積み上げてきたのは、単にごまかすためのカモフラージュではない。
皮膚の凹凸を消し去るのではなく、光の屈折を利用して骨格の印象を塗り替える。二重幅のミリ単位の調整、唇の輪郭を数ミリオーバーに描く際の繊細なぼかし。それは職人が木彫りの像を彫り出す作業に酷似している。テレビのひな壇で「同一人物か」と笑われていた技術は、時を経て「特殊造形に匹敵する職人技」としてのリスペクトを勝ち取った。
2026年のコスメ界を揺るがす「はら流ベースメイク」の真骨頂
現在、美容のトレンドは「素肌感」と「立体感の錯覚」が高度に融合するフェーズにある。彼女が長年提唱してきたベース作りのロジックは、皮肉にも最新のハイエンドコスメが目指す方向性と完全に一致していた。
まず下地を何層にも重ねるのではない。必要な場所にだけ油分を置き、テカリに見せないハイライトの配置を徹底する。毛穴を埋めるのではなく、乱反射で飛ばす。彼女のメイク指南に触れた人々が口を揃えて語るのは、「厚塗り感がないのに、見せたい顔立ちだけが浮き上がってくる」という驚きだ。トレンドの移り変わりがどれほど激しくとも、顔の解剖学に基づいた彼女の手法は色褪せない強さを持っている。
ルッキズムへの痛烈なカウンター:欠点を愛するためのプロセスの可視化
外見至上主義への批判が強まる一方で、自らの外見に対する個人のコンプレックスが消え去るわけではない。はらのアプローチが特異なのは、自身のすっぴんを一切隠蔽せず、むしろ堂々と提示し続ける点にある。
「ここが私の丸い鼻。ここが重たい一重」――そう笑いながら、彼女は躊躇なくブラシを滑らせる。欠点を恥じるのではなく、変形させるための起点として客観視する。このプロセスそのものが、自虐でも卑下でもない、極めて健全な自己受容の儀式として機能している。誰かの美の基準に合わせるのではない。自分が今日、どんな顔で世界と対峙したいかを自分で決める。その主権を握り返す行為こそが、彼女のメイクの根底にある思想だ。
デジタル補正全盛期だからこそ際立つ、肉筆のアナログ職人技
画面をタップするだけで顔の輪郭が削れ、目が二倍に広がる時代だ。だが、画面の向こうで作られた美しさは、現実世界の光の下にさらされた瞬間に脆くも崩れ去る。だからこそ、今人々は再び彼女の手元に熱狂している。
彼女のメイク動画は、どれだけ画質が上がろうともノーカットの迫力に満ちている。スポンジを叩き込む速度、アイラインを引く際の一瞬の息止め、指先でチークを馴染ませる体温。画面越しのマジックではなく、手作業で現実を書き換える泥臭いまでのリアリティが、加工疲れを起こした現代人の目を覚まさせるのだ。フィジカルな技術だけが持ちうる説得力が、そこにはある。
相方・川瀬名人との舞台裏と、芸人としての確固たる矜持
どれほど美容アイコンとして持て囃されようとも、彼女の帰る場所は劇場だ。相方の川瀬名人とともにマイクの前に立つとき、彼女は一瞬で「ゆにばーすのはら」という漫才師の顔に戻る。この二面性こそが、彼女を他のビューティーインフルエンサーと決定的に隔てる要素だろう。
美しさを極めることもできる。しかし、舞台上で全力の変顔を晒し、観客を爆笑の渦に巻き込むこともできる。どちらか一方に自分を縛り付けない柔軟さ。「綺麗になれる技術を持っているけれど、いつでもそれを脱ぎ捨てて笑いを取りに行ける」という精神的なタフネスは、見ていて清々しいほどの自由を感じさせる。美は彼女にとってゴールではなく、人生を面白がるためのひとつの遊具に過ぎない。
「なりたい自分になればいい」――彼女のコスメポーチが教えてくれること
手持ちのコスメを広げたとき、何を選び、どう塗るか。それは毎朝自分自身に対して行う、ささやかな意思決定だ。はらのメイクは、その選択肢が無限にあることを証明し続けている。
誰かにモテるためでも、世間の平均点に滑り込むためでもない。自分の手で、自分を驚かせるためのメイク。鏡を覗き込み、ブラシを握るその数十分間、人は誰でも自分自身のプロデューサーになれる。コスメポーチの中に眠る小さな道具たちは、彼女の手にかかれば、自分を縛るあらゆる思い込みを打ち破るための鍵へと姿を変えるのだ。 (出典: ユニバース はら メイク(Yahoo!ニュース))