病を越えて掴んだ「私の歩幅」――麻木久仁子が60代で見出した、薬膳と学び直しの静かな革命
麻木 久仁子 現在の佇まいに、かつてテレビ画面を席巻した「才色兼備のコメンテーター」という記号だけで迫ることは、もはや難しい。鋭い舌鋒と小気味よいテンポでクイズ番組やワイドショーを牽引した全盛期を経て、今の彼女が纏っているのは、どこまでも穏やかで、しかし芯の通った澄んだ空気だ。2010年の脳梗塞、そして2012年の乳がんという二重の生命の危機から十数年。彼女の足元には、自らの手で耕し直した豊かな生活が広がっている。
病との対峙は、生き方そのものを根底から作り替える契機となった。かつてのような分刻みのスケジュールに追われる日常を手放し、自らの身体の声と知的好奇心に寄り添う麻木 久仁子 現在の生き様には、年齢を重ねることを恐れる現代人の肩の力をふっと抜かせるような、確かな説得力が宿っている。
大病を乗り越えた身体と向き合う「国際薬膳師」としての日常
病気を経験した人間が真っ先に直面するのは、「昨日までの当たり前」が崩れ去る恐怖だ。麻木久仁子もその例外ではなかった。40代後半で相次いで見舞われた大病は、それまで無自覚に酷使してきた肉体からの痛烈な警鐘だったという。そこで彼女が逃げ込まずに選んだのが、食事で身体を整える「東洋医学」と「薬膳」の道だった。
中途半端な趣味には終わらせない。猛勉強の末、難関とされる「国際薬膳師」の資格を取得した。彼女が提案する薬膳は、決して高級な漢方食材を取り揃えるような浮世離れしたものではない。スーパーで手に入る旬の野菜、生姜やネギ、季節ごとの乾物。それらをどう組み合わせ、いかに自分の体調に合わせるか。台所に立つ彼女の手元には、生き延びるために身につけた実践的な知恵が詰まっている。
放送大学での学び直し――60代で広がる知の世界
麻木の探求心は、食卓にとどまらなかった。還暦を迎える前後、彼女が踏み出したもう一つの大きな一歩が「放送大学」への入学だ。知性派タレントとして長く活動してきた彼女が、あえて今、学生として机に向かう。その動機は肩書きの追加などではなく、ただ「もっと知りたい」という純粋な知的好奇心だった。
歴史、文学、心理、自然科学。深夜、講義ノートを広げてペンを走らせる時間は、何者でもない「一人の学び手」に戻れる至福のひとときだという。テスト前には普通に焦り、単位が取れれば素直に喜ぶ。年齢を言い訳にせず、脳の筋肉を心地よく使い続けるその姿は、生涯学習という言葉を軽やかに体現している。
メディア出演と距離感の変化、自分の言葉を語る場所
テレビで見かける頻度は、以前と比べれば落ち着いたものになった。しかし、それは決してフェードアウトではない。自らが心から納得できる企画、同世代に本当に届けたいメッセージがある番組を厳選して出演するスタイルへとシフトしている。
情報番組で見せるコメントも、以前の切れ味鋭い論評から、人生の酸いも甘いも噛み分けた包容力のある視点へと変化した。SNSや各種連載では、気取らない自炊の風景や、愛猫との他愛のないひとコマを発信。虚飾のないリアルな言葉遣いが、長年彼女を見守ってきたファンだけでなく、シニア世代の新たな共感を集めている。
愛猫と過ごす丁寧な一人暮らしと「おひとりさま」の覚悟
自宅で彼女の傍らに寄り添うのは、愛おしい猫たちだ。娘の独立を経て、現在の生活拠点は気ままな一人暮らし。だが、そこに孤独の影は見当たらない。むしろ、誰にも邪魔されない空間と時間を自分の美学で満たす歓びを謳歌しているように見える。
将来への備えや老後の不安をゼロにすることは誰にもできない。だからこそ、日々の掃除、猫のブラッシング、お気に入りの器でとる質素な朝食といった「小さな手触り」を大切にする。自分で自分の機嫌を取る。シンプルだが最も難しいその技術を、彼女は暮らしの中で着実に磨き上げてきた。
更年期や老いへの眼差し:恐れずに受け入れるリアルな知恵
女性の身体が直面する揺らぎについて、彼女は常にオープンだ。更年期の不調や体力の低下、白髪や肌の変化。アンチエイジングという言葉で老いを敵視するのではなく、訪れる変化を受け止めながら、いかに快適に共存するかを語る。
「無理に若作りをする必要はない。でも、冷えを放置したり、胃腸をいじめたりはしない」。その言葉には、大きな手術と治療を耐え抜いたサバイバーならではの説得力がある。身体のサインを見逃さず、少し疲れたら薬膳茶を淹れて休む。この軽やかな柔軟性こそが、同世代の女性たちにとっての頼もしい道標となっている。
2026年、麻木久仁子が示す「人生後半戦の新しいデザイン」
還暦を過ぎ、人生の第3コーナーを回った麻木久仁子。かつて彼女が背負っていた、時代のスピードに追いつくための焦燥感は完全に消え失せた。今あるのは、自分の手足でしっかりと地面を踏みしめ、好きなことを学び、身体を慈しむという確固たる日常だ。
病気は人生を狂わせる災厄かもしれない。しかし、それをきっかけに生活を解体し、真に豊かなものだけを再構築することはできる。軽やかに知を愛し、毎日のスープを丁寧に煮込むその横顔は、老後という時間を「衰退」ではなく「収穫の季節」へと変えられるのだと、雄弁に物語っている。 (出典: 麻木 久仁子 現在(Yahoo!ニュース))