七回忌を迎えた2026年、三鷹に残された「喜劇王の城」のリアル――遺産管理の苦悩と近隣住民が明かす現在の姿
志村 けん 豪邸の重厚な門前に立つと、かつて日本中を笑わせたあの独特のトーンが、今にも奥の玄関から響いてくるような錯覚を覚える。東京・三鷹市の閑静な住宅街。周囲の街並みから頭ひとつ抜け出た威容を誇るこの邸宅は、2020年3月に新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎で急逝した志村けんさん(享年70)が生前、自らの成功とこだわりを注ぎ込んだ城だった。あれから6年の歳月が流れた。七回忌の節目を迎えた2026年の今も、主(あるじ)を失った建物は静かにそこに佇んでいる。
一時は庭木の繁茂や雨漏り、さらには野良猫の侵入被害といった荒廃ぶりが週刊誌を賑わせたこともあったが、この志村 けん 豪邸は現在、解体されることも第三者の手に渡ることもなく、遺族らの手によってぎりぎりの現状維持が続けられている。だが、表札の向こう側に横たわる現実は甘くない。莫大な維持コスト、遺品の整理、そして都市計画の壁。日本中を沸かせたスターの遺産は、遺族にとって今なお重い問いを突きつけ続けている。
七回忌を迎えた2026年、三鷹の地に佇む「威容と静寂」
初夏の陽光が差し込む三鷹の住宅地は、鳥のさえずりと時折通り過ぎる宅配便のバイクの音だけが響く静けさの中にある。志村さんの自宅敷地は約百数十坪。地下1階、地上3階建ての堂々たる鉄筋コンクリート造りだ。総工費は数億円とも言われる。
2026年の現在、外観を見る限り、数年前に取り沙汰されたような目立つ荒廃感はひとまず払拭されている。伸び放題だった外構の植栽は手入れされ、道路に覆いかぶさっていた枝葉も綺麗に刈り込まれた。防犯カメラのインジケーターが赤く明滅し、不在の主を守るかのように作動を続けている。
しかし、漂う空気はどこまでも無機質だ。かつて深夜になるとタクシーが横付けされ、付き人や後輩芸人が慌ただしく出入りしていた門扉は、固く閉ざされたまま。インターホンを押す者もいない。
空き家化報道から数年――雨漏りと庭木の危機を救った遺族の奮闘
急死直後から数年間、この家は宙に浮いた状態にあった。志村さんは生涯独身を通し、子供もいなかったため、遺産相続の権利は2人の実兄に渡った。だが、実兄たちもすでに高齢だ。慣れない巨大資産の扱いに翻弄されたのは想像に難くない。
2023年頃には、屋根の一部からの雨漏りや、庭に住み着いた野良猫の糞尿被害、さらには換気不足による室内のカビの発生などが報じられ、ファンに衝撃を与えた。昭和・平成を彩った大スターの終の棲家が、いわゆる「特定空家」の予備軍に転落しかけていたのだ。
状況を食い止めたのは、実兄をはじめとする親族の意地だった。シルバー人材センターや民間の管理業者を定期的に入れ、換気と清掃、敷地内の巡回を徹底する体制を整えた。親族の知人は声を潜めて語る。「兄たちにとって、けんちゃんは自慢の弟。あの家をみすぼらしい姿のまま放置することは、弟の芸人人生に泥を塗るようなものだと感じたのでしょう」。
年間数百万円に及ぶ維持費の壁と、相続人が背負った重圧
ただ、綺麗に保ち続けることと、経済的に成り立っていることは同義ではない。固定資産税と都市計画税だけでも、この規模の邸宅であれば年間数百万円規模の負担となる。そこに水道光熱費の基本料金、警備会社との契約料、定期清掃費が上乗せされる。
誰かが住んでいるわけではない。家賃収入を生むわけでもない。ただ存在しているだけで、資産は目減りしていく。これが芸能界のトップに君臨した人物の遺産が直面する典型的な落とし穴だ。
志村さんの遺産総額は十数億円とも推計されていたが、相続税の支払いや各種清算を経て、残された不動産の管理負担だけが重くのしかかり続ける。売却して更地にするか、それとも誰かに一括で引き渡すか。親族間での協議は七回忌を迎えた今もなお、慎重に続けられている。
愛車ロールスロイスから膨大なコレクションまで:整理が進まぬ「昭和・平成の遺産」
建物の維持以上に厄介なのが、家の中に眠る膨大な「モノ」の存在だ。志村さんは無類の趣味人であり、同時に芸への研究熱心さでも知られていた。
愛車だったキャデラックは生前親交の深かった千鳥の大悟さんが引き取ったことが知られているが、邸内にはまだ途方もない私物が残されている。壁一面を埋め尽くすジャズやソウルのレコード、数千本に及ぶ海外コメディのVHSテープやDVD、舞台で使われた特注の小道具、そしてコレクションしていた舶来物の酒瓶や高級ライター。
「普通のゴミとして処分できるようなものは何一つない」と、生前出入りしていた関係者は証言する。どれ一つ取っても日本の大衆芸能史の貴重なピースであり、民俗資料に近い価値を持つものすらある。それらを一つひとつ鑑定し、保管先を振り分ける作業は、専門のアーカイブ組織でもない限り不可能に近い。結局、大半の品々は空調の効かない暗がりの中で、時間を止めたまま眠り続けている。
「記念館」構想はなぜ実現しないのか? 立ち塞がる法規制と近隣環境
世論やファンの間では、幾度となく「志村けん記念館」としての一般公開を望む声が上がってきた。地元・東村山市には銅像が立ち、駅前には「志村けんの木」が植えられている。ならば、晩年を過ごした三鷹の自宅も記念館にできないのか――。
だが、現実は極めて厳しい。最大の障壁は「都市計画法」の用途地域だ。志村さんの自宅があるエリアは「第一種低層住居専用地域」に指定されており、建築物の用途が厳しく制限されている。店舗や博物館、記念館といった不特定多数の人間が集まる施設への転用は原則として認められない。
仮に特別許可が下りたとしても、道幅の狭い住宅街に観光バスやファンの車が押し寄せれば、近隣の平穏な生活は一瞬で崩壊する。近隣トラブルを何よりも嫌った志村さんの生前の配慮を考えれば、遺族がこの選択肢を強行することは事実上不可能だった。
夜遅くに明かりが灯っていたあの日――近隣住民が胸に抱き続ける志村さんの面影
近隣住民に話を聞くと、返ってくるのは苦情ではなく、稀代のコメディアンへの静かな敬意だ。散歩の途中、愛犬を連れた志村さんとすれ違うと、相手が誰であれキャップのツバに手を当てて小さく会釈してくれたという。
「夜中の2時か3時頃、三階のリビングにポツンと明かりがついてね。テレビモニターの青白い光が窓に反射していたのを覚えています。きっと、深夜番組を見たり、コントの台本を推敲したりしていたんでしょう。テレビで見せるおバカな姿とはまったく違う、職人の顔でした」
近所に住む70代の男性はそう振り返る。住民たちにとって、あの家は単なる「有名人の空き家」ではない。日本の笑いを一人で背負っていた孤独な表現者が、戦いを終えて帰ってくる要塞だったのだ。 (出典: 志村 けん 豪邸(Yahoo!ニュース))
2026年、七回忌。三鷹の空の下、主を失った大豪邸は、訪れるはずのない主人の帰りを待ちながら、昭和と平成という熱狂の時代の記憶を今もその壁の奥に抱え込んでいる。