「休日返上で上司にお酌」はもう限界? 2026年の職場で再燃する社員旅行論争と、静かに広がる「行かない権利」
社員 旅行 行き たく ない――東京・丸の内のカフェでノートPCを開いていたIT企業勤務の男性(26)は、社内チャットに届いた通知を見つめたまま深く息を吐いた。「秋の全社親睦温泉旅行、出欠アンケート(原則全員参加)」。土日を丸ごと使い、移動中の大型バスから深夜の宴会部屋まで上司の機嫌を伺い続ける48時間が、再び迫っている。パンデミックで完全に途絶えたはずの社内行事が、ここにきて奇妙な「リアル回帰」の波に乗り、全国の職場でゾンビのように蘇りつつあるのだ。
タイパやワークライフバランスの徹底が叫ばれる2026年の今、職場の雑談やSNSで社員 旅行 行き たく ないという切実な叫びを目にしない日はない。これは単なる若い世代のワガママでも、内向的な性格のせいでもない。労働時間とプライベートの境界線が再定義された現代において、無報酬の気疲れイベントを強いる構造そのものに、労働者たちが強烈な違和感を突きつけている証拠だ。
「業務なのか、プライベートなのか」曖昧なグレーゾーンが生む猛烈な疲弊
金曜の夜から日曜にかけて拘束され、団体行動を強いられる。朝風呂で顔を合わせれば挨拶し、宴会ではビール瓶を片手に役員のテーブルを回る。夜が深まれば、雑魚寝の部屋で上司のいびきを聞きながら天井を見つめる羽目になる。どこをどう切り取っても、これは「プライベートの休暇」ではない。
それにもかかわらず、多くの企業ではこれを「福利厚生」や「親睦」という美名のもとに無給で処理しようとする。休日に同僚と過ごすことを純粋に楽しめる人間が一定数いることは否定しない。しかし、業務の延長線上にある気遣いを求められながら、給与も発生せず、ただ精神と体力を削り取られる側にとって、それはただの「無償労働」に他ならない。
給与未払いやパワハラの温床にも? 労務管理から見た「不参加」の正当性
法的な観点からも、2026年の労務管理において旧態依然とした社員旅行は極めてリスクの高い地雷原となっている。労働問題に詳しい弁護士は、「実質的な強制参加であれば、それは労働時間とみなされる可能性が高い」と警鐘を鳴らす。
「不参加を表明したことで査定に響く、あるいは上司からネチネチと嫌味を言われるといった実態があれば、それは明白なパワーハラスメントに該当し得ます。また、休日に実施される旅行への参加を義務付けるのであれば、休日出勤手当の支給対象になるのが筋です。毎月の給与から勝手に天引きされていた『親睦会費』の返還を巡るトラブルも、近年急増しています」
不参加の自由は、労働者にとって正当な権利だ。「空気を読め」という同調圧力だけで社員を動かせた時代は、とうに過ぎ去っている。
Z世代だけではない、実は40代中間管理職も悲鳴を上げている
「若者の職場離れ」「ドライな新人類」といった文脈で語られがちな社員旅行アレルギーだが、現場の実態はもっと複雑だ。最も強いストレスに晒されているのは、若手と経営陣の板挟みになっている30代後半から40代の中間管理職かもしれない。
都内のメーカーで課長職を務める40代女性は、自嘲気味にこう語る。「上からは『若手と距離を縮める絶好の機会だぞ』とプレッシャーをかけられ、若手からは『パワハラになりそうだから話しかけないでオーラ』を出される。宴会の座席順に気を揉み、アレルギーや嗜好を調べ、万が一の粗相がないか見張る。自腹で数万円の寸志を包んだ挙句、誰も喜んでいない旅行の幹事役を押し付けられる中間層こそ、一番行きたくないのが本音です」。もはや誰も得をしていない茶番劇が、慣習という惰性だけで回っている。
「昭和の成功体験」にしがみつく経営陣と現場の決定的な断絶
なぜ、ここまで不評を買ってもなお、経営陣は社員旅行を復活させたがるのか。その根底には、「同じ釜の飯を食い、裸の付き合いをしてこそ本音のチームワークが生まれる」という、前世紀の成功体験への執着がある。
リモートワークやデジタルツールの普及によって希薄化した組織の求心力を、一過性の非日常イベントで強引に取り戻そうとする安易な発想とも言える。日頃の1on1ミーティングや透明性の高い評価制度、働きやすい職場環境の構築といった、地道で本質的なマネジメントから逃げている経営者ほど、「みんなで温泉に行けば分かり合える」という幻想にすがりがちだ。
しかし、日頃のコミュニケーションに不信感を抱いている部下が、温泉地に行ったからといって心を開くはずもない。むしろ、閉鎖的な空間でアルコールが入ることで、日頃抑え込まれていた失言やセクハラが暴発し、関係性が修復不可能なレベルまで壊れる事例すら後を絶たない。
角を立てずに辞退する:2026年を生き抜く「大人のスマートな断り方」
とはいえ、現実の組織で波風を立てずに旅行を回避するには、それなりの立ち回りが求められる。「行きたくないから行きません」と正面突破できる強心臓の持ち主ばかりではないからだ。
現場で実際に使われている、関係性を壊さない辞退の処方箋は以下の通りだ。
第一に、「動かしようのない個人的な予定」を早期に提示すること。親族の法事、長年通っている通院、資格試験の受験日など、他人が踏み込みにくい領域の予定をアンケート配布の初日に設定してしまうのが最も角が立たない。「行きたい気持ちはあるが、どうしても外せない」という残念がる姿勢をセットにすることで、相手の面子を潰さずに済む。
第二に、「体調面のデリケートな理由」を柔らかく伝える手法だ。乗り物酔いが極度に重い、環境が変わると不眠症が悪化する、大人数での集団宿泊に適応しにくいといった健康上の理由は、昨今のコンプライアンス意識の高まりもあり、上司側も深く追及しにくい聖域となっている。
「強制の旅」から「個人の選択」へ:アップデートに成功した先進企業の事例
社員旅行そのものが悪というわけではない。問題の本質は、「強制性」と「休日の搾取」にある。この課題にいち早く気づいた企業は、すでに形骸化した社員旅行を廃止し、新たな制度へと移行させている。
ある急成長中のWeb企業では、全社旅行を一律で廃止。その予算を社員一人あたり年5万円の「リフレッシュ旅行補助」として個人に支給する形に切り替えた。家族と行ってもいいし、一人旅で使ってもいい。社員の満足度は劇的に跳ね上がったという。
また、別の企業では、平日の所定労働時間内に完結する「日帰りオフサイトミーティング」を導入している。夕方17時には解散し、宿泊も夜の強制宴会もなし。業務の一環として堂々と日当を支払い、議論とカジュアルな交流を短時間で凝縮させる。拘束ではなく尊重をベースにした設計こそが、令和の職場に求められている本当の「親睦」の姿だろう。
強制された熱狂は、冷笑しか生まない。2026年、私たちが本当に求めているのは、上司にお酌をする週末ではなく、自分自身のために使える静かな休日そのものなのだ。 (出典: 社員 旅行 行き たく ない(Yahoo!ニュース))