永田町の「最後の怪力」は今どこにいるのか――森喜朗元首相、沈黙の真相と2026年の現在地
森 喜朗 現在、彼がどこで何をしているのかを血眼になって追う番記者の姿は、ずいぶんとまばらになった。だが、永田町の奥の院で地殻変動が起こるたび、古参の自民党議員たちは今でも反射的にその巨躯の影を探してしまう。88歳。かつて列島を揺るがし続けた「キングメーカー」は、歴史の表舞台から完全に退場したのか。それとも、まだ見えない糸を操っているのか。
派閥の解体や世代交代の波がどれほど永田町を洗い流そうと、森 喜朗 現在の健康状態や背後での発言力に対する関心が完全にゼロになることはない。病魔と闘いながら都内の私邸や療養先で静かに呼吸を整える老政治家の日常。そこから漏れ伝わってくるのは、かつての豪放磊落なボス政治の終焉と、あまりにも冷え切った権力の黄昏である。
車椅子と透析治療――語られざる88歳の体調と日常生活
かつて早稲田大学ラグビー部で鍛え上げ、180センチを超える体躯で政敵を威圧した面影は、もはや薄い。ここ数年の森を知る関係者が一様に口を揃えるのは、その急速な肉体の衰えだ。
週に複数回の人工透析。過去に患った肺がんの術後経過観察。移動には車椅子が欠かせず、声の張りも全盛期とは比べものにならない。かつてのように料亭の座敷で盃を傾け、夜遅くまで大声を張り上げて政局を差配するような体力は、物理的に残されていないのが現実だ。
「日によっては会話がスムーズに弾む時もあるが、長時間の面会はドクターストップがかかる。身の回りのケアは限られた家族と近親者、そして長年仕えてきたごく少数の秘書が担っている」と、森に近い関係者は明かす。日中は都内の自宅や医療施設を行き来し、テレビの国会中継やニュース番組を静かに眺める時間が大半を占めているという。
清和会(旧安倍派)解体の衝撃と「生ける亡霊」批判の行方
森にとって最大の精神的打撃となったのは、間違いなく手塩にかけて育て上げた「清和政策研究会(安倍派)」の崩壊だった。
パーティー収入不記載に端を発した裏金事件。その捜査の手が伸び、幹部たちが次々と処分され、派閥そのものが看板を下ろす事態に至った際、世論の怒りの矛先は「派閥の生みの親であり、裏金システムの源流を作ったのではないか」と目された森自身にも向かった。野党からの証人喚問要求、メディアからの厳しい追及。当時は電話一本で国税や検察の動きを封じたと噂された剛腕も、世論の猛反発の前には沈黙を守るしかなかった。
かつて「森チルドレン」と呼ばれ、森の機嫌を伺うために列をなしていた後輩議員たちの多くは議席を失うか、保身のために森との関係を公に否定せざるを得なくなった。自らが築いた最大派閥が瓦解していく様を、病床から見届けるしかなかった無力感は、想像を絶するものだったはずだ。
誰が私邸の門を叩くのか? 激減した面会者と「切られた電話」
権力とは、蛇口から出る水のようなものだ。元栓が閉まれば、人は驚くほど潮が引くように去っていく。
「かつては新年の挨拶だけで長蛇の列ができたものだが、今や自宅の呼び鈴を鳴らす現役議員は片手で数えるほどしかいない」と政治部デスクは語る。かつて人事の季節になれば、閣僚ポストを求めて森の携帯電話を鳴らし続けた連中は、いまやその番号を登録から消したかのようだ。
それでも、完全に孤立したわけではない。菅義偉元首相や武田良太といった気脈を通じるベテラン勢、あるいは地元・石川県選出の限られた側近が、折を見て近況報告に訪れる。だが、そこでの会話はもはや「誰を総裁にするか」といった人事の密談ではない。「体調はどうだ」「昔はこうだった」という、過去を懐かしむ雑談に終始しているとされる。
五輪疑惑の残滓と司法の死角――問われ続ける道義的責任
東京五輪・パラリンピックを巡る汚職・談合事件の記憶も、決して色褪せてはいない。大会組織委員会の会長を務めていた森の周辺には、高橋治之元理事ルートをはじめとする無数の疑惑の影が差した。
特捜部の事情聴取を受けながらも、立件の網をすり抜けた森に対し、世論が向けた冷徹な視線は今も消えていない。刑事責任は免れたとしても、巨額の公金と商業マネーが乱れ飛んだ世紀の祭典の裏側で、彼が果たした役割に対する歴史的評価は極めて厳しい。
「あの五輪で日本のスポーツ行政と政界の癒着は底を突いた。その中心にいた森氏が、何の説明責任も果たさずにフェードアウトしていくことへの不満は、国民の間に澱(おり)のように沈殿している」とジャーナリストは指摘する。森の沈黙は、保身であると同時に、自らの言葉が再び火を噴くことを恐れた防衛策にも見える。
地元・石川とラグビー界に見る「最後の執念」
中央政界での影響力が削ぎ落とされる一方で、森が最後まで手放さなかった、いや手放せなかった場所がある。故郷である石川県、そして生涯の情熱を注いだ日本ラグビー界だ。
能登半島地震からの長期的な復興事業において、森のパイプが陰で機能した場面は少なくない。「中央の官僚に睨みを利かせ、予算をもぎ取ってくる」という昭和的な豪腕政治のスタイルを、地元の一部有力者はいまだに森に期待していた。電話越しにかすれる声で、旧知の官僚幹部に「頼むぞ」と一言告げる――それだけで動く予算があったこともまた、否定できない永田町の暗部であり、現実だった。
また、ラグビー界に対しても、ワールドカップ日本大会を成功させた「最大の功労者」としての自負は強い。時折、関係者を通じて送られる激励のメッセージには、かつて楕円球を追いかけた青年のような純粋さと、最後まで何者かであり続けたいという老政治家の執念が滲み出ている。
「昭和・平成型政治」の終焉を象徴する長老の黄昏
良くも悪くも、森喜朗という政治家は「数とカネ、義理と人情」で動いた日本の前近代的な派閥政治の最終形態だった。
失言で内閣支持率を一桁に落とし、密室の談合で政権をたらい回しにし、それでもなお党内を取りまとめる腕力だけで数十年にわたり君臨し続けた。デジタル化され、SNSで政治家の一挙手一投足が監視される今の永田町において、森のような怪物は二度と生まれないだろう。
窓の外に広がる東京の街並みを、88歳の森はどのような眼差しで見つめているのか。キングメーカーの座を追われ、仲間を失い、静寂の中で刻一刻と迫る人生の幕引きを待つ姿は、ひとつの政治の時代の、紛れもない終焉を告げている。 (出典: 森 喜朗 現在(Yahoo!ニュース))