あれから6年、巨大タワーに呑まれた「滋賀の象徴」——西武大津店跡地が映し出す地方都市の冷徹なリアルと新たな息吹
西武 百貨店 大津のネオンが琵琶湖畔の夜空から消え去って、今年で丸6年が経つ。かつて滋賀県民の「ハレの日」を一手に引き受け、週末ともなれば駐車場待ちの車列が湖岸道路を埋め尽くしたあの場所には今、見上げるような高層タワーマンションが屹立している。かつてのランドマークが姿を消した大津市におの浜は、静かな寝床へと生まれ変わったのか、それとも都市の活力を失ったのか。現地を歩くと、ただのノスタルジーでは片付けられない、2026年の日本が直面する地方都市の生々しい縮図が浮かび上がってくる。
湖からの湿った風が吹き抜ける歩道で立ち止まる元常連客の表情は、どこか複雑だ。子どもの入学祝いを買い、催事場で北海道の味覚に胸を躍らせた記憶が薄れることはないが、西武 百貨店 大津という巨大な磁場を失った街は、京都や大阪へ通う共働き世代のベッドタウンへと急激にその輪郭を書き換えている。時代の必然だと頭では理解していても、ぽっかり空いた心の隙間は、整然とした最新鋭のコンクリート美観だけで埋まるものではない。
「ハレの場」から「眠る街」へ:におの浜の劇的な景観変容
「ここはもう、買い物に来る場所じゃないですよ」
犬の散歩をしていた70代の男性が、苦笑いを浮かべながら呟いた。1976年の開業から2020年の幕引きまで、半世紀近くにわたり滋賀の消費文化を牽引してきた現場の変貌ぶりは凄まじい。トラックがせわしなく搬入作業を繰り返し、買い物袋を抱えた家族連れの歓声が響いていた敷地は、プライバシーが厳重に守られた私有地へと転換した。
日常の買い物事情はどう変わったのか。近隣住民の足は、旧大津パルコの建物を活用した商業施設や近隣のドラッグストア、あるいは少し足を伸ばした幹線道路沿いの大型店へと分散した。生鮮食品や日用品の確保に困ることはない。しかし、かつてこの一角に満ちていた「よそ行きの服を着て出かける高揚感」は完全に抜け落ちた。街は静穏を取り戻した代償として、地域の中心的な舞台装置を喪失したのだ。
京都駅まで10分という引力:流入する子育て層が求めるもの
だが、これを単純な「地方の衰退」と切り捨てるのは早計だ。現地にはいま、全く別の力学が働いている。
「正直、昔ここに何があったのかは詳しく知りません」
2年前に大阪市内から転入してきた30代の会社員女性は、ベビーカーを押しながらあっけらかんと話す。彼女のような新世代にとって、大津は「百貨店を失った街」ではない。「JRを使えば京都駅まで10分少々、大阪駅にも40分前後で直通できる抜群の立地でありながら、京都市内の半分近い住宅価格で広い部屋が手に入る湖畔のリゾート」なのだ。
2026年現在、京都市内の不動産価格はインバウンド需要と投資マネーに牽引され、一般の給与生活者が手を出せる水準を遥かに超えて高騰し続けている。その余波を受け、実需を求めるファミリー層の巨大な受け皿となったのが大津市だ。におの浜周辺のタワーマンション群は瞬く間に埋まり、近隣の教育施設には新たな児童が押し寄せている。商業の核を失った土地は、驚くべきスピードで「職住近接のベッドタウン」としての最適解を見つけ出していた。
百貨店文化の完全な終焉と、イオン一強が生むジレンマ
地方都市における百貨店の撤退は全国で繰り返された光景だが、滋賀における西武の終焉は、ある特異な商業地図を決定づけた。現在、県南部の巨大な購買力を独占的に吸い上げているのは、近江大橋の対岸に広がる「イオンモール草津」だ。圧倒的な駐車スペース、チェーンストアの盤石な品揃え、子どもを遊ばせられる室内空間。合理的かつ平坦な利便性の前に、伝統的な百貨店が太刀打ちできなかったのは火を見るより明らかだった。
しかし、そこで失われたものの輪郭もまた明確だ。老舗の包装紙に包まれた進物を取り交わす習慣や、外商員が個々の顧客と結んでいた濃密な人間関係。それらは単なるモノの売買を超え、地域の社会階層や共同体を緩やかにつなぎ止める糊のような役割を果たしていた。
今や、滋賀県民がフォーマルな贈答品やブランド品を求める際、迷わずJRに乗って京都高島屋や大丸京都店を目指すのが当たり前の風景として定着した。地域内で完結していた消費の頂点部分が、そのまま県外へ流出する構造が完全に固定化されている。
「買い物のためだけに電車に乗る」シニア世代の置き去り問題
急速に進む新陳代謝の足元で、もっとも深い影を落としているのが、西武とともに年齢を重ねてきた旧来のシニア層だ。
「昔は歩いてデパ地下に行けば、誰かしら知り合いに出会えた。お惣菜を少し買って、ベンチでお喋りをして帰るのが日課だったんです」
近隣の公団住宅に暮らす80代の女性は、そう声を落とす。車を運転しない、あるいは免許を返納した高齢者にとって、広大な駐車場を備えた郊外型モールは「近くて遠い場所」に過ぎない。路線バスを乗り継ぐ手間や、果てしなく広いモール内を歩き回る体力的な負担は決して軽くない。
スマートフォンひとつで買い物を完結させる若い転入者とは対照的に、リアルな店舗が「社会との唯一の接点」だった層にとって、歩いて行ける距離に存在した百貨店の消失は、文字通り孤立への引き金となった。住居に特化したスマートな街並みが完成する一方で、かつてコミュニティの縁側として機能していた空間の不在が、じわじわと生活の質を削り取っている。
名建築家・菊竹清訓のレガシーはどこへ消えたのか
西武大津店を語る上で、建築としての価値を見落とすことはできない。設計を手掛けたのは、日本を代表する建築運動「メタボリズム」の旗手、菊竹清訓だ。琵琶湖の雄大な景観に対峙するように設計された白亜の躯体、大胆な幾何学模様のファサード、そしてシースルーエレベーターから望む湖面のパノラマ。あの建物自体が、戦後日本の高度経済成長と文化の爛熟を象徴するモニュメントだった。
解体当時、建築学会などから保存や活用を求める声が上がったものの、民間資本による迅速な再開発のスピードに抗う術はなかった。今、現地を訪れても、かつてそこに世界的な建築家の傑作が立っていたことを物語る痕跡はほとんど見当たらない。
経済合理性の前に、都市の記憶がどれほどあっけなくスクラップ・アンド・ビルドされるか。整然と区画された現在の敷地を見つめると、近代建築の保存という日本全体が抱える構造的課題の冷酷な帰結を見せつけられているような感覚に囚われる。
2026年の大津が問いかける、ポスト百貨店時代の地方創生
におの浜の歩んできた道は、果たして地方都市の「敗北」なのだろうか。それとも「現実的な適応」と呼ぶべきか。
答えは白黒つけられるほど単純ではない。中心市街地の百貨店が廃墟と化し、解体も再開発も進まぬままゴーストタウンの象徴として放置されている自治体が全国に点在する中、大津は驚くべき速さで住宅地への転換を完遂し、現に人口を呼び込み続けている。税収基盤の維持という観点から見れば、これは紛れもない実利的な成功と言えるだろう。
だが、都市の豊かさとは、単にベッドの数と電車のアクセスの良さだけで測れるものなのか。ただ寝に帰り、週末には遠くのショッピングモールへ車を走らせるだけの街に、独自の文化や愛着は育まれるのか。黄昏時、立ち並ぶタワーマンションの窓々にひとつ、またひとつと明かりが灯る。かつて屋上から湖面を照らしていた赤と青の看板の代わりに、無数の私的な生活の光が湖を彩っている。失われた「ハレの場」への切なさを抱えながら、大津はいま、ベッドタウンとしての新しい体温を自らの手で作り出す重い問いを突きつけられている。 (出典: 西武 百貨店 大津(Yahoo!ニュース))