耳の障害、大腸がんを越えて――山本譲二が語る「病気」との闘いと、70代後半で見出した声の境地

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耳の障害、大腸がんを越えて――山本譲二が語る「病気」との闘いと、70代後半で見出した声の境地
耳の障害、大腸がんを越えて――山本譲二が語る「病気」との闘いと、70代後半で見出した声の境地
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🎵 耳の障害、大腸がんを越えて――山本譲二が語る「病気」との闘いと、70代後半で見出した声の境地

山本 譲二 病気という検索窓に並ぶ文字列の向こうには、昭和・平成・令和の歌謡界を駆け抜けてきた熱血漢の、あまりに過酷な肉体との対話がある。「みちのくひとり旅」の鮮烈な咆哮から数十年。2026年の今、76歳を迎えた山本譲二の姿は、単なる大御所歌手のそれではない。幾度も命の危機に晒され、そのたびにボロボロになりながらステージへ這い上がってきた、傷だらけのサバイバーとしての佇まいがそこにある。

スポットライトを浴びて豪快に笑う姿しか知らない世代にとっては信じがたいことかもしれないが、近年の山本 譲二 病気を巡る報道は、常にファンに冷や汗を握らせてきた。歌手の命綱である耳の異変、そして生命そのものを脅かした消化器のがん。肉体が限界を告げるたびに、彼は自らの弱さを隠さず、むしろさらけ出すことでファンと結びついてきた。男はいかにして病魔と対峙し、今日この瞬間もマイクを握り続けているのか。

2009年の衝撃:右耳の聴力を奪った顔面神経鞘腫の恐怖

最初の大きな影が差し込んだのは、2009年のことだった。突如として山本を襲ったのは、激しいめまいと耳鳴りである。精密検査の結果、告げられた病名は「顔面神経鞘腫(がんめんしんけいしょうしゅ)」。右耳の奥、脳の近くにできた良性腫瘍だった。

命に別状はないとはいえ、歌手にとって聴覚を失うことは致命傷に等しい。腫瘍の摘出手術は成功したものの、代償として右耳の聴力はほぼ失われた。音の立体感が消え、オーケストラの演奏はおろか、自らの発する声のピッチ(音程)すら掴めなくなる。当時、山本は控室の壁を殴りつけるほどの絶望に打ちのめされたという。「もう人前で歌うことはできないのではないか」。かつてない恐怖が背筋を凍らせた。

それでも彼は歌を捨てなかった。左耳だけで音を拾い、骨を通じて響く自らの声の振動を身体で覚える。何千回、何万回という途方もない反復練習の末、山本は再びマイクの前に立った。片耳の静寂を受け入れることから、彼の「第二の歌手人生」は始まったのである。

自覚症状なき悪魔:2019年に判明した「大腸がん」の手術

耳の試練を乗り越え、精力的な活動を続けていた山本に、さらなる過酷な試練が訪れる。2019年初夏、定期検診で大腸にがんが見つかったのだ。

自覚症状はほとんどなかった。まさに青天の霹靂である。病巣は大腸の奥深くに潜んでおり、医師からは即時の手術を勧められた。大腸を約20センチ切除する大手術。腹部を切り、腸をつなぎ合わせる処置は、腹筋を激しく使う演歌歌手にとって、発声の基盤を根本から揺るがす危機を意味していた。

「手術台に上がるとき、天井の蛍光灯を見つめながら『まだ死ぬわけにはいかない』と心の中で叫んでいた」。後年、山本はそう振り返っている。術後の激しい痛み、思うように力が入らない下腹部。だが、幸いにも転移は見られず、早期発見が功を奏してがんは切除された。奇跡的な回復力の背景には、長年の野球経験で培った強靭な基礎体力と、舞台へ戻りたいという執念があった。

愛妻・悦子さんとの絆:互いを支え合った「夫婦の闘病史」

山本の壮絶な闘病を語るうえで、妻・悦子さんの存在を外すことはできない。実は、山本が大腸がんを患う以前、悦子さん自身も乳がんを患い、長い闘病生活を送っていた過去がある。

かつては自分が妻を支え、病院に通い、不安を和らげようと必死に努めた。そして今度は、自分が倒れたときに妻が全力を尽くしてくれた。互いの弱さを知り尽くし、病の苦しみを身をもって理解しているからこそ、二人の間に交わされる言葉には嘘がない。

退院後の徹底した減塩食や栄養管理、日々のメンタルケアに至るまで、悦子さんの献身的な支えがあったからこそ、山本は再びステージで力強く胸を張ることができた。夫婦で病を乗り越えてきた時間は、彼の歌にこれまでにない深みと、人生のぬくもりを与えている。

メタルへの傾倒と異色の挑戦:失った聴覚が拓いた新たな世界

病を経験した後の山本譲二は、ある種の「吹っ切れ」を見せるようになった。その最たる例が、ロックやヘヴィメタルへの接近である。

かつてなら演歌の大御所が足を踏み入れなかったようなアプローチに、山本は果敢に飛び込んだ。耳が不自由になったからこそ、身体を直接揺さぶる重低音や、魂の底から叫ぶような激しい音楽に共鳴したのだろうか。若手ロックミュージシャンとのコラボレーションや、メタルフェスへの関心など、ジャンルの垣根を軽々と飛び越えてみせた。

「演歌だとかロックだとか、そんな枠組みはどうでもいい。生きている実感を声に乗せてぶつけるだけだ」。満身創痍のベテランが見せるその姿勢は、従来のファンだけでなく、若い世代の音楽リスナーをも熱狂させた。病気によって奪われたものがあったとしても、それによって新しく開いた扉が確かに存在したのだ。

師匠・北島三郎の背中と、胸に秘めた「歌い手としての引き際」

病魔と闘う山本の精神的支柱であり続けたのは、やはり師匠である北島三郎の存在だ。北島自身もまた、頸椎症性脊髄症などの大病や怪我を経験しながら、車椅子に乗ってでも歌い続ける不屈の精神を見せてきた。

山本は常に師の背中を見つめてきた。「親父(北島)があれだけボロボロになってもマイクを離さないのに、俺が弱音を吐いてどうする」。その思いが、どれほど彼を鼓舞したか計り知れない。

だが同時に、70代後半を迎えた山本は、歌い手としての「引き際」についても冷静な視線を持つようになった。無理に全盛期の声を再現しようとするのではなく、年齢相応の枯れ具合、病をくぐり抜けてきた男の哀愁をそのまま歌に乗せる。見苦しくてもいい、声がかすれてもいい。真実の叫びであるならば、それは誰かの胸を打つはずだという確信が、今の彼を支えている。

2026年現在の体調と活動:満身創痍のレジェンドが示す「生きる力」

2026年現在、山本譲二は定期的な検査と健康管理を怠ることなく、精力的に全国を巡るステージ活動を継続している。大腸がんの再発の兆候もなく、経過は良好だ。

もちろん、76歳という年齢、そして失われた右耳の聴力を考えれば、決して万全のコンディションとは言えない日もあるだろう。季節の変わり目には体調を崩すこともあれば、歌い終わった後に激しい疲労が襲うこともある。しかし、幕が上がれば、そこには紛れもない「山本譲二」がいる。

病気は人を打ちのめすが、同時に人生で本当に大切なものが何であるかを教えてくれる。度重なる病魔の嵐を耐え抜き、今なおスポットライトの下で魂を絞り出す山本の歌声は、超高齢社会を生きる日本の同世代に向けた、最高の応援歌として鳴り響いている。 (出典: 山本 譲二 病気(Yahoo!ニュース))