お茶の間が完全に解体された夜:2023年大晦日特番が決定づけた「テレビの終わりの始まり」
大晦日 テレビ番組 2023の番組表を前にして、キー局の編成マンたちが抱いた戦慄を今でも忘れることはできない。長年日本の年末を牛耳ってきた巨大男性アイドル事務所のタレントがNHK紅白歌合戦から忽然と姿を消し、日本テレビの『笑ってはいけない』シリーズなき民放各局は、最適解を見失ったまま彷徨っていた。コタツに入って家族全員で同じひとつの画面を眺める――そんな昭和から平成へと引き継がれてきた「お茶の間の神話」が音を立てて崩壊したのが、まさにあの夜だった。
メディア業界の構造転換を振り返る際、専門家の間では大晦日 テレビ番組 2023が残した視聴率の急落と視聴習慣の断絶が、今なお象徴的な事例として引き合いに出される。かつて当たり前だった「国民的共通体験」が霧散し、個人のスマートフォンやタブレットへと視聴空間が細分化していった決定的瞬間。あの夜、日本のテレビ界で何が起き、視聴者はどこへ消えたのだろうか。
旧ジャニーズ不在の紅白が突きつけた「国民的行事」の終焉
第74回NHK紅白歌合戦の視聴率は、第2部で31.9%(関東地区・世帯)という歴代ワーストを記録した。長年頼みの綱だった旧ジャニーズ事務所所属アーティストの起用をゼロにした影響は、数字の上で残酷なほど明確に表れた。
だが、現場の肌感覚は少し違っていた。K-POPグループの相次ぐ抜擢や、ano、新しい学校のリーダーズといったSNS起点のアーティストが次々と登場。YOASOBIの『アイドル』では、日韓のトップアイドルたちが垣根を越えてコラボレーションを繰り広げ、X(旧Twitter)のトレンドを世界規模でジャックした。
皮肉にも、ネット空間が熱狂すればするほど、既存のテレビ受像機からは高齢層が脱落していった。全世代を包括する「国民的歌番組」という看板は、この瞬間に事実上その寿命を終えたと言っていい。
民放各局の「無難な撤退戦」と『ザワつく!』の勝利が語るもの
民放各局の動向は、紅白以上の苦戦を強いられていた。日本テレビはかつての絶対王者『笑ってはいけない』の穴を埋めるべく大型お笑い特番を編成したものの、かつての熱気を取り戻すには至らなかった。フジテレビは『逃走中』を投入し、TBSはボクシング世界戦とバラエティを組み合わせたが、どれも決定打とはならなかった。
その中で民放トップの視聴率を堅持したのが、テレビ朝日の『ザワつく!大晦日』だった。高嶋ちさ子、石原良純、長嶋一茂の3人が繰り広げる毒舌トークと昭和・平成世代に照準を合わせた構成。過剰な若者迎合を潔く捨て去り、テレビの前に確実に残っているシニア層を徹底的に囲い込む戦略が功を奏した。
「テレビを見る層にだけテレビを売る」。この極めて現実的で割り切った戦術が勝者となった現実は、テレビというメディアがもはや若年層を開拓するフロンティアではないことを自ら認めた瞬間でもあった。
リビングの主権を奪ったYouTube生配信とABEMAの台頭
地上波が視聴率の防衛戦に汲々としていた裏で、ネット空間は未曾有の活況を呈していた。旧ジャニーズ事務所から独立した「TOBE」のアーティストたちが配信したYouTube生配信や、各人気ストリーマーによる年越し配信には、数十万人規模の同時接続が集まった。
さらにABEMAが仕掛けた『ももいろ歌合戦』は、地上波の紅白が拾いきれなかったニッチかつ熱狂的なファン層を完璧に補足していた。アニメソング、声優、ベテラン演歌歌手、ネット発信のシンガーソングライターまでが混在するカオスな祝祭感。そこには、地上波がコンプライアンスや旧来の慣習に縛られて失ってしまった「生々しい祝祭のエネルギー」が充満していた。
大晦日の夜、家族が同じ部屋にいながら、父親はテレビの格闘技、母親はタブレットで紅白、子どもたちはイヤホンをつけてスマホの配信画面に見入る。リビングの風景は、不可逆的に書き換えられた。
コア視聴率と世帯視聴率の乖離:スポンサーが見限った「全世代型エンタメ」
テレビ局関係者を真に青ざめさせたのは、表面的な世帯視聴率の低下ではなく「コア視聴率(13歳〜49歳の個人視聴率)」の壊滅的な散らばりだった。広告主が最も喉から手が出るほど欲しい現役世代が、大晦日の地上波放送からごっそりと蒸発していたのだ。
スポンサー側は、この日を境に予算の配分を本格的に再考し始めた。何億円もの制作費を投じて全方位向けのメガ番組を制作するよりも、ターゲット層が明確にセグメントされたコネクテッドTV(TVer、YouTube、各種サブスク)の配信枠へ予算をシフトさせた方が、費用対効果が高いという冷徹な計算が働いたためだ。
制作費が削られれば、セットは小規模になり、キャスティングも守りに入る。その結果、番組のスケール感が失われ、さらに若年層が離れるという悪循環の引き金が引かれた。
孤独のグルメが証明した「だらだら観るテレビ」という最後の砦
熾烈な牌の奪い合いを横目に、我が道を行くテレビ東京の『孤独のグルメ大晦日スペシャル』は、極めてユニークな存在感を放っていた。井之頭五郎が淡々と地方の美味を食すだけのドラマ。そこには過剰なカウントダウンも、押し付けがましい感動の押し売りもない。
この番組が安定した支持を集めた理由は、視聴者が年末年始に求めていた「ノイズの少なさ」だった。SNSの過剰な情報量や、タイムラインの激しい濁流に疲弊した人々にとって、テレビ東京が提供するマイペースな映像体験は、ある種の精神的避難所として機能していたのだ。
「熱狂」を届けるメディアから、「邪魔にならない背景」へ。テレビが生き残るためのもうひとつの生存戦略が、この番組の健闘によって提示されていた。
あの日を境に何が二度と戻らなかったのか
2023年の暮れに起きた地殻変動は、一過性のブームや視聴率の浮き沈みといった次元の話ではなかった。日本人が何十年にもわたって共有してきた「国民全体が同じカウントダウンを息を呑んで待つ」という儀礼そのものの解体だった。
それぞれの興味関心に応じて細分化されたアルゴリズムの檻の中で、私たちは自分だけの年越しを選ぶ自由を手に入れた。その利便性と引き換えに失ったのは、翌朝の学校や職場で「昨日のあれ観た?」と誰もが同じ話題で笑い合えた、あの少し不自由で温かかった一体感だ。
あの大晦日に灯っていたテレビの光は、ひとつの巨大な時代の幕引きを告げる、静かな残光だったに違いない。 (出典: 大晦日 テレビ番組 2023(Yahoo!ニュース))