『ペット2』声優陣の現在地と奇跡のアンサンブル――伊藤沙莉の躍進からバナナマンの妙技まで、色褪せない日本語吹替の深層
ペット 2 声優陣の顔ぶれをいま改めて眺め直すと、当時のキャスティング担当者の慧眼には舌を巻くしかない。お茶の間で愛され続けるお笑いコンビと、のちに日本を代表する看板俳優へと駆け上がる実力派、そしてアニメ界の頂点に君臨するプロフェッショナルたちが同じスタジオで火花を散らしていた。イルミネーション・エンターテインメントが放ったこの続編は、単なるアニメーション映画のローカライズという枠を軽々と飛び越え、極めて贅沢な「声の演劇」としての強度を保ち続けている。
劇場公開から時を経た今も、配信プラットフォームや地上波放送で本作が再生されるたび、タイムラインには役者たちの演技を称賛する言葉が並ぶ。とりわけ2026年の視点から振り返ると、各キャストが歩んできたその後のキャリアの凄まじさも相まって、このペット 2 声優陣による掛け合いの妙味は格別な響きを帯びる。かつて洋画のアニメ吹替に付きまとっていた「話題作り先行のタレント起用」という色眼鏡を叩き割り、作品の本質を底上げした立役者たちの仕事を丹念に紐解いてみたい。
バナナマンの阿吽の呼吸が生んだ、マックスとデュークの圧倒的リアリティ
主人公のマックスを演じる設楽統と、相棒デュークを演じる日村勇紀。バナナマンのふたりが吹き込んだ命は、小手先の声優スキルとはまったく異なる次元で脈打っていた。結成から数十年を共にしてきたコンビにしか出せない、息の吸い方ひとつ、間の取り方ひとつの生々しさ。それが、前作で反目し合いながらも本作でかけがえのない兄弟となった2匹の大型犬・小型犬の関係性に、これ以上ない説得力を与えている。
とりわけ印象深いのは、マックスが抱える過保護な不安と、デュークの底抜けの楽天主義が衝突する日常会話のシーンだ。設楽のやや神経質で都会的なトーンと、日村の腹の底から響く大らかな発声。スタジオで個別に録音されたパートであっても、互いのリアクションを熟知したふたりだからこそ成立する、目に見えないグルーヴがそこにはあった。
圧巻の怪演を見せた伊藤沙莉――デイジー役に見る役者魂の原点
『ペット2』のキャスティングにおいて、最大のサプライズであり最大の収穫となったのが、シーズー犬のデイジーを演じた伊藤沙莉の存在だろう。気丈でハスキーな声を轟かせ、ホワイトタイガーの救出という無謀なミッションに突き進むこのキャラクターは、まさに彼女のためにあつらえられたかのような熱量を放っていた。
後に朝ドラの主演をはじめ数々の映画賞を総なめにしていく彼女だが、すでにこの段階で、声だけでキャラクターの生い立ちや骨太な芯を感じさせる表現力を確立していた。可愛らしさに逃げず、どこかやさぐれた強さと情の深さを同居させたデイジーの造形。彼女のハスキーボイスがスクリーンを切り裂く瞬間、物語の推進力は一気に加速する。
狂気と愛嬌のハイブリッド、中川大志のスノーボールが放つ爆発力
前作のヴィランから一転、スーパーヒーローごっこに熱中するウサギのスノーボール。オリジナル版でケヴィン・ハートがマシンガンのごとく繰り出したハイテンションな演技に、真っ向から対峙したのが中川大志だ。美形俳優の枠組みを自ら破壊するかのようなハイピッチの絶叫と、愛くるしい見た目とのギャップは、観客の腹筋を容赦なく揺さぶった。
中川の巧さは、単に声を張り上げるだけでなく、ふとした瞬間に漏れ出る「ただの甘えん坊のウサギ」に戻るニュアンスの切り替えにある。誇大妄想に憑りつかれた狂気と、抱きしめたくなるような無邪気さ。この両極端を瞬時に往復するスピード感は、天性のリズム感と徹底したキャラクター研究がなければ到底成し遂げられない職人技だった。
沢城みゆき、梶裕貴、宮野真守――声優界の巨頭が敷いた盤石のセーフティネット
タレントや俳優陣が前線で奔放に暴れ回ることができた背景には、声優界のトップランナーたちがバックボーンとして控え、音響の骨格をミリ単位で支えていた事実を見逃してはならない。ポメラニアンのギジェットを演じた沢城みゆきの手腕は、もはや神業の領域だ。マックスへの盲目的な愛と、猫になりきるための怪しい訓練で見せる豹変ぶりは、彼女の引き出しの底知れなさを物語る。
さらに、モルモットのノーマンを演じた梶裕貴のコミカルな軽妙さ、そしてサーカス団の冷酷な団長セルゲイを演じた宮野真守の冷徹な重低音。プロフェッショナルたちが要所をガチガチに固めていたからこそ、作品全体のトーンがバラバラにならず、ハリウッド水準のエンターテインメントとして美しく結実したのだ。
ハリソン・フォードの魂を継いだ内藤剛志――ルースターという人生訓
農場を仕切る老練な牧羊犬ルースター。原語版でハリソン・フォードがアニメ声優初挑戦として重厚に演じたこの難役に、日本版で抜擢されたのが内藤剛志だった。余計な装飾を削ぎ落とした、低く乾いたハスキーなバリトン。その声には、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた男だけが宿せる、静かな重みがあった。
都会の過保護な環境で臆病になっていたマックスに対し、ルースターが投げかけるぶっきらぼうなアドバイスの数々。内藤の抑制された芝居は、単なるキャラクターのセリフを超え、人生の先輩から若者へ向けた不器用なエールのように胸を打つ。派手なギャグが連続する本作において、彼の声がもたらした重心の低さは、物語に映画としての品格を与えていた。
なぜ本作はタレント吹替の批判を凌駕できたのか
洋画のアニメーション吹替において、有名人の起用が発表されるたびに巻き起こる賛否両論の嵐。しかし『ペット2』に関しては、そうした雑音は公開とともに急速に沈静化していった。理由は極めてシンプルで、キャスティングが「ネームバリューの消費」ではなく「声質のテクスチャーとキャラクターの魂の合致」を最優先に行われていたからだ。
芸人の日常会話の間合い、実力派俳優の感情表現、ベテラン声優の正確無比な技術。それぞれが自身の領分を理解し、キャラクターという共通の目的地に向かってピースをはめ込んでいく。個性の衝突を恐れず、むしろその摩擦をエンターテインメントへと昇華させた本作の布陣は、吹替という表現形態が到達しうるひとつの理想形を、今なお雄弁に物語っている。 (出典: ペット 2 声優(Yahoo!ニュース))