名優・近藤正臣の「現在」と病の真相――肺気腫と向き合いながら郡上八幡で見出した、80代の静かなる境地
近藤 正臣 病気という検索ワードが、今なおファンの間で途切れず浮上し続けている。昭和から令和に至るまで、日本の映像界を独自のダンディズムと鋭い眼差しで牽引してきた名優・近藤正臣。齢80を超えた彼が公の場から少し身を引いたことで、「重病説」や「入院説」といった憶測がネット上を駆け巡るのも無理はない。だが、その背後にある実情は、単なる衰えといった言葉では片付けられない、一人の表現者が選んだ真摯な生き方の軌跡だった。
数々の名作を彩ってきた彼がメディアへの露出を抑えるようになった背景には、長年の愛煙家ゆえに抱えることとなった肺気腫の存在がある。世間では近藤 正臣 病気の悪化を危惧する声も根強いが、当の本人は焦る様子もなく、岐阜県郡上八幡の澄んだ空気の中で四季の移ろいを肌で感じながら暮らしているという。華やかな銀幕の世界から清流のほとりへ。そこには自らの肉体と折り合いをつけ、老いを受け入れながらも失われない、圧倒的な色気が漂っている。
長年の愛煙がもたらした肺気腫――自らの呼吸と向き合う決断
近藤正臣が抱える呼吸器系の不調は、昨日今日に始まった話ではない。かつて昭和の撮影現場といえば、紫煙が立ち込めるのが当たり前の時代だった。彼自身もまた、一日数十本の煙草を燻らせるヘビースモーカーとして知られていた。タバコを指に挟み、物憂げに紫煙を吐き出す姿は、当時のファンにとって憧れの男性像そのものだった。
だが、その代償は確実に肺を蝕んでいた。慢性閉塞性肺疾患(COPD)の代表格である肺気腫。一度破壊された肺胞は、現代の医学をもってしても元には戻らない。階段の上り下りや少しの早足でも息が切れる。かつて舞台やカメラの前で縦横無尽に動き回っていた俳優にとって、呼吸の制限がどれほど過酷な現実であったかは想像に難くない。
それでも彼は病を隠そうとはしなかった。ある時期から、テレビのトーク番組やインタビューでも自身の息切れや肺の変調について淡々と告白するようになった。「吸いすぎたツケが回ってきただけのことや」と、どこか自嘲気味に笑い飛ばす姿に、悲壮感は微塵もなかった。自身の過去の選択を受け入れ、現実から逃げない覚悟がそこにはあった。
郡上八幡への移住と「川の暮らし」――なぜ都会の喧騒を離れたのか
病との付き合い方を模索する中で、彼が選んだ終の棲家が岐阜県郡上八幡だった。かつて趣味のアユ釣りをきっかけに惚れ込んだこの地に、彼は拠点を移した。吉田川の清流が流れ、山々から澄んだ風が吹き下ろす場所。肺を患った彼にとって、排気ガスにまみれた東京の空気よりも、この水と緑の街がもたらす清冽な呼吸は何物にも代えがたい薬となったはずだ。
地元住民との交流も実に飾り気がない。町を歩けば、近所の人々と気さくに言葉を交わす。かつての国民的スターという壁を作ることなく、ひとりの「郡上の住人」として溶け込んでいる。川のせせらぎを聞き、釣竿の手入れをし、気の向くままに煙管ならぬ風景を味わう。都会のスケジュールに追われる日々を捨て、自分の呼吸のリズムだけで生きる時間を取り戻したのだ。
病気療養といえば、どこか外界から隔絶された暗い療養生活を連想しがちだ。しかし近藤の場合、自然豊かな地へ拠点を移すこと自体が、前向きな「生き直しのプロセス」だったと言える。
「ピアノ足弾き」から大河ドラマの重鎮へ――不世出の名優が刻んだ足跡
近藤正臣という役者を語る上で欠かせないのは、その唯一無二のキャリアである。1970年代のドラマ『柔道一直線』における、ピアノの上に飛び乗って足の指で鍵盤を弾くシーンは、半世紀以上が経過した今もなお伝説として語り継がれる。あれほどシュールな演出を、誰よりも美しく、大真面目に演じ切って説得力を持たせられる俳優が他にいただろうか。
美青年俳優としての強烈なブレイクを経て、彼は見事な変貌を遂げていく。大河ドラマ『龍馬伝』で演じた山内容堂の底知れぬ凄みと狂気、『真田丸』で魅せた本多正信の老獪にして飄々とした軍師ぶり。さらには連続テレビ小説『ごちそうさん』で演じた頑固だが情に厚い義父役など、年を重ねるごとに役柄の奥行きは増していった。
若き日の華麗なアクションから、視線一つ、沈黙一つで画面を支配する重鎮へ。その卓越した表現力があったからこそ、病によって身体的な制限が加わった後も、オファーが途切れることはなかったのだ。
引退宣言をしない美学――「声がかかれば考える」の真意
メディア露出が減ると、決まって囁かれるのが「事実上の引退」という言葉だ。だが近藤正臣は、明確な引退宣言をしていない。これ見よがしに「辞める」と看板を下ろすのではなく、自然の成り行きに身を任せる姿勢を貫いている。
かつてのインタビューでも、彼は演じることへの執着を手放しつつも、扉を完全に閉ざしてはいない旨を語っていた。「頼まれて、体が動いて、面白そうならやる。無理なら断る」。この極めて自然体な距離感こそ、彼らしいダンディズムの真骨頂ではないか。引退をイベント化して注目を集めるような軽薄さを嫌い、役者としての命脈を静かに保ち続けている。
身体の衰えを隠すために引退するのではない。病気を言い訳にして惨めな姿を見せるのでもない。ただ、呼吸ができる範囲で、表現者としての誇りを保てる仕事があれば応じる。この引き際の美しさは、現代の多くの表現者にとって一つの指標となっている。
2026年現在の体調と日常――酸素吸入器を抱えても失われない威厳
2026年を迎えた現在、近藤正臣は80代半ばに差し掛かっている。呼吸機能の低下に伴い、日常生活において携帯型酸素濃縮器や吸入器の助けを借りる場面があることは想像に難くない。加齢と肺疾患が重なれば、長時間の歩行や連続した発声に負荷がかかるのは当然の生理現象である。
しかし、近況を知る関係者から伝わってくるのは、枯れ果てた老人の姿ではない。白髪をたくわえ、深く刻まれた皺をそのままにした彼の風貌は、むしろ年月を味方につけた圧倒的な彫の深さを感じさせる。体調の良い日には縁側で外を眺め、本を読み、静かに思索に耽る。病気と戦うというよりは、病気を長年の相棒のように横に置き、共存している状態だ。
生命の危機といった極端な噂は的外れであり、自らの許容量をしっかりと把握した上で、穏やかな療養と日常のバランスを維持しているのが現在の真実と言える。
老いを隠さないダンディズム――近藤正臣が私たちに残す人生の指標
現代社会は、アンチエイジングという言葉に象徴されるように、「老い」や「病」を敗北や克服すべき敵として捉えがちだ。若さを保つことが賞賛され、衰えを見せることは忌避される。そんな息苦しい風潮の中で、近藤正臣の佇まいは痛快なまでの清々しさを放っている。
彼は自らの病気を悲劇に仕立て上げない。長年吸い続けた煙草の結果なら、それもまた自分の生きた証として引き受ける。身体が動かなくなれば、動かないなりの場所を見つけて、そこでしか味わえない風を感じる。老いるとは、何かを失うことではなく、余計なものを削ぎ落として本質に近づくことなのだと、彼の背中が教えてくれる。
スクリーンで彼が放ってきた色気は、肉体の若さだけが生み出していたものではなかった。覚悟とユーモア、そして自分自身をごまかさない潔さ。病気という影を抱えながらも、なお光を放ち続ける名優・近藤正臣。その存在そのものが、今を生きる私たちにとって、人生の後半戦をどう歩むべきかを示す鮮烈な道標となっている。 (出典: 近藤 正臣 病気(Yahoo!ニュース))