テレビを捨てた稀代の扇動者——久米宏が81歳の今、静かな余白で企てる「最後の言葉」
久米 宏 現在、ブラウン管の熱狂から完全に身を引いた彼がどこで何を見つめているのか、気にかける人は決して少なくない。1980年代から2000年代初頭にかけて夜10時の日本を決定づけ、『ニュースステーション』で日本の報道番組の骨格そのものを塗り替えた男——久米宏。80代の大台を迎えた今、あの独特の甲高い声、皮肉混じりのウインク、そして権力を小馬鹿にするような舌鋒が地上波に乗ることはない。彼が自ら選び取ったこの「沈黙」は、引退したタレントの老後という枠を遥かに超え、異様なほどの存在感を放っている。
かつての視聴者やテレビマンたちが久米 宏 現在の消息を追うとき、突き当たるのは徹底して無駄を削ぎ落とした生活ぶりだ。SNSで安直に時事放談を撒き散らすわけでもなく、ワイドショーの懐かし枠で好々爺を演じる気もさらさらない。都内の閑静な住宅街で愛妻と静穏な日々を送りながら、活字の世界に身を沈める。だが、その隠遁にも似た佇まいの裏側には、生温い迎合に染まった現代メディアに対する冷徹な視線が、今なおナイフのように研ぎ澄まされている。
「ニュースステーション」という巨大な呪縛からの完全な脱出
久米宏を語る上で避けて通れないのが、1985年から18年半にわたって続いた『ニュースステーション』の狂気である。それまでのニュース番組といえば、原稿を正確に読み上げるNHK型のアナウンサーが主役だった。そこに久米は「スタジオでビールを飲む」「政治家の発言に生放送であからさまに顔をしかめる」という私情を持ち込んだ。視聴者は熱狂し、政治家は恐れ、テレビ朝日は莫大な利益を得た。
だが、その代償は大きかった。毎日の生放送がもたらす精神的摩耗、スポンサーや政権からの目に見えない圧力。久米本人が後に回想したように、当時の彼にとってテレビは「快楽の実験場」であると同時に「底なしの監獄」でもあった。2004年に降板した瞬間、彼はその巨大な看板をあっさりと捨てた。自らが作り上げたスタイルが、その後の民放各局で薄められ、劣化コピーされていくのを横目に、久米自身は二度とその亡霊に戻ろうとはしなかった。
ラジオ終了から数年——なぜ表舞台から姿を消したのか
テレビを離れた久米が、最後の砦として愛着を注いだのがラジオだった。TBSラジオで14年にわたって続いた冠番組『久米宏 ラジオなんですけど』が幕を閉じたのは2020年6月のことだ。この番組の終了こそが、久米宏という表現者が日常的なマイクを完全に手放した分岐点となった。
やめ方もいかにも彼らしかった。健康不安や周囲の引き留めを理由にするのではなく、「年齢的な引き際」「自分で納得できる喋りができなくなる前に降りる」という極めて潔い決断だった。多くの名物アナウンサーが老骨に鞭打ってポジションにしがみつく中、久米は引き際の美学を徹底させた。ラジオを降りてから現在に至るまで、彼が定席を持つレギュラー番組は一本も存在しない。喋り手としてのキャリアに、自ら美しいピリオドを打ったのだ。
81歳を迎えた日常と、愛妻・麗子夫人と紡ぐ私生活
80代を迎えた彼の健康状態を心配する声は絶えないが、伝えられる近況は驚くほど穏やかだ。大きな病気で倒れたという報はなく、年齢相応の衰えを受け入れながらも、至って健康的な隠居生活を送っている。
その暮らしを支えているのが、スタイリストであり長年のパートナーである妻・麗子さんの存在だ。久米の奇抜かつ洗練されたファッションを手がけ、私生活でも二人三脚で歩んできた彼女との時間は、喧騒から解放された今の久米にとって人生の核心部分と言える。早朝の散歩、書斎での乱読、クラシックやジャズに耳を傾ける時間。かつて分刻みの視聴率グラフに一喜一憂していた男は今、誰にも邪魔されない時間のリズムを取り戻している。
YouTubeやSNSをやらない理由——安売りを拒む表現者の矜持
テレビ界のベテランたちが続々とYouTubeやオンラインサロンに活路を見出す昨今、久米宏がそうした潮流に一切乗らないのはなぜか。そこには、彼が信じた「放送」というメディアの重みがある。
久米にとっての喋りとは、巨大な電波、生放送の緊張感、巨額の制作費、そして自分に向けられた無数の敵意と好意が交錯するギリギリの現場でこそ成立するものだった。スマホ一台に向かって気楽な独り言を呟き、身内だけのファンから「いいね」を回収する行為は、彼が命を削って培ってきた芸の範疇にはない。ネットで簡単に自己表現ができる時代だからこそ、自らの言葉を安売りしない。この沈黙こそが、現代のクリエイターに対する無言のレッスンとなっている。
自主規制に窒息するテレビ界へ、沈黙という最大の批判
今のテレビを見て、久米宏は何を思っているのだろうか。コンプライアンスに怯え、SNSの炎上を恐れて誰も本音を言わず、当たり障りのないコメントで隙間を埋める情報番組の数々。もし久米が今のスタジオに立てば、嘲笑を浮かべてこう言うかもしれない——「皆さん、ずいぶんと行儀が良くなりましたね」と。
彼が意図的にメディアから距離を置いていること自体が、現在の日本のテレビに対する痛烈なアンチテーゼに見える。予定調和をぶち壊す人間を排除し、安全パイばかりを並べた結果、視聴者を失ったテレビ界。かつてその中心でタブーを踏み越え続けた男の不在は、そのまま現代のメディアが失ってしまった「毒」と「知性」の空白を告発している。
残された言葉の重み——久米宏が僕たちに残した宿題
公の場から遠ざかったとはいえ、久米宏の思考が完全に止まったわけではない。時折、書籍の復刊や極めて限定的なインタビュー、あるいは活字のコラムなどで見せる言葉には、かつて日本中を釘付けにしたあの鋭利な切れ味が寸分狂わず残されている。
テレビが最大の権力だった時代に、その内側からテレビを疑い、視聴者に「自分の頭で考えろ」と突き放し続けた扇動者。彼がブラウン管を去ったあとに残されたのは、情報過多の中で思考停止に陥った私たち自身の姿だ。81歳の久米宏が漂わせる静寂は、単なる老境の安らぎではない。それは、熱狂の時代を駆け抜けた一人のジャーナリストが、この国に投げかけた最後の問いかけなのである。 (出典: 久米 宏 現在(Yahoo!ニュース))