没後6年・三鷹の豪邸は今どうなったのか――「志村けんの家」が突きつける遺産整理の苦悩と近隣の肉声【2026年現地ルポ】
志村 けん 家の門前に立つと、初春の冷たい風に乗って乾いた落ち葉がカサリと音を立てた。日本中を突如として襲った深い悲しみから、早くも6年。2026年を迎えた今もなお、昭和・平成のお茶の間を独占した喜劇王の記憶は色褪せない。だが、彼が生前に最も愛し、夜な夜なロールスロイスで戻っては束の間の孤独と酒を慈しんだ東京・三鷹市の白亜の大豪邸は、主を失った長い歳月のなかで、あまりにも生々しい現実の波に晒されていた。
日本全体で空き家問題と過酷な税制が取り沙汰されるなか、残された親族や関係者の間でも志村 けん 家の扱いをめぐる苦渋の決断が続いてきた。敷地面積数百平米、地下室付きの鉄筋コンクリート造。かつては後輩芸人やスタッフがひっきりなしに出入りしたあの場所は、今どのような状況にあり、周囲の住民は何を語るのか。七回忌を控えた現地を歩き、近隣住民や関係者の証言を丹念に拾い集めた。
七回忌を迎えた2026年、三鷹の豪邸前に漂う「主なき静寂」
吉祥寺駅から南へ車で10分ほど。生垣が美しく手入れされた高級住宅街の一角に、ひときわ目を引く白壁の建物が現れる。志村さんが1990年代初頭、自らのこだわりを凝縮して建てた要塞のような邸宅だ。
外壁にはうっすらと雨垂れの黒ずみが走り、高枝切り鋏が入らなくなって久しい植栽が、コンクリートの塀をわずかに越えて道路へと張り出している。かつて玄関先に停められていた英国製の高級車はとうに姿を消し、インターホンのレンズは経年劣化で白く濁っていた。ポストの投函口は内側から固く塞がれている。
「志村さんが亡くなった直後は、花を手向けに来るファンや報道陣でごった返していましたが、今はもう人通りもまばらです」
近くに住む70代の男性は、犬の散歩足を止めてそう呟いた。主の笑い声が途絶えた豪邸は、ただ静かに、街の風景の一部へと沈み込もうとしている。
総額数十億円とも囁かれた遺産――相続人たちを苦しめた「現金と不動産」の落差
志村さんが残した遺産は、当時の報道で総額数十億円とも推計された。しかし、その内実を紐解けば、相続手続きが容易に進むはずもなかった。生涯独身を通した彼の場合、法定相続人となったのは実兄たちだ。
日本の税法上、兄弟姉妹が相続する場合、相続税には「2割加算」という重いペナルティが課される。さらに基礎控除を超えた部分には最高55%の累進税率がのしかかる。莫大な不動産評価額に対して、納税は原則として現金納付だ。
「兄御さんたちもすでに高齢でした。志村さんが残した預貯金や株券、印税収入である程度は相殺できたとしても、この規模の邸宅を維持し続けるための固定資産税と維持管理費は、年間数百万円単位で発生し続けます。売却するにも解体するにも、億単位の金が動く。まさに『負の遺産』になりかねないジレンマを抱えていたのです」(芸能関係に詳しい税理士)
テレビで見せていた豪快な金遣いの裏で、不動産という名の巨大な資産は、残された遺族に重い選択を突きつけ続けていた。
空き巣の侵入、荒れた庭木、漏水トラブル――放置が生んだ住宅街の軋轢
人の住まなくなった家は、驚くべき速度で傷んでいく。志村邸もその例外ではなかった。没後3年が過ぎた2023年頃からは、近隣住民の間で衛生面や防犯面を不安視する声が急速に高まっていった。
「一度、敷地内で不審な物音がして警察沙汰になったことがありました。空き巣が入ったんじゃないかと噂になって。それ以来、夜になるとあの家の前を通るのが本当に怖かったんです」
近隣に住む主婦は声を潜めて明かす。庭の雑草が生い茂って害虫が発生した時期もあり、大雨の後には排水口の詰まりによる異臭騒ぎも起きた。地元自治体にも「管理不全の空き家として指導できないのか」という相談が複数寄せられていたという。
愛されたスターの家だからこそ、住民たちも強くは言えない。その遠慮と困惑が、静かな住宅街に薄氷を踏むような緊張感を生み出していた時期が確かにあった。
なぜ「記念館」として保存できなかったのか? 自治体と遺族の壁
「三鷹の家を志村けん記念館にできないのか」――ファンや一部の支援者から上がったこの声は、なぜ実現しなかったのか。そこには都市計画法と近隣環境という、極めて現実的な壁が存在していた。
邸宅が位置するエリアは、建築基準法上の第一種低層住居専用地域。商業施設の建設が極めて厳しく制限されている地域だ。不特定多数の観光客が訪れるミュージアムやギャラリーへの用途変更は、行政の許可を得ることが法的に極めて困難だった。
加えて、道幅が狭く、大型バスの乗り入れはもちろん、自家用車のすれ違いすら困難な生活道路に面している。観光地化による騒音や渋滞を懸念する住民感情を考慮すれば、自治体としても首を縦に振るわけにはいかなかった。
「寅さん」の葛飾柴又や、他の文化人の生家のように観光拠点化する道は、立地という絶対的な条件の前に、早い段階で完全に閉ざされていたのだ。
特注バーカウンターと愛犬の面影:遺品整理の現場で起きていたこと
邸内には、志村さんの偏執的なまでのこだわりが詰まっていた。地下に設えられた本格的なホームシアター。麻布十番の行きつけのバーを模して作らせたという、特注の無垢材バーカウンター。そして壁一面を埋め尽くしていた数千枚のソウル・ミュージックやジャズのレコードコレクション。
「志村さんは大変な綺麗好きで、犬を何匹も飼っていましたが、室内は常にチリ一つなく保たれていました。亡くなった後、事務所関係者や遺品整理の専門業者が入り、数ヶ月がかりで私物の整理が行われました。愛犬たちの遺品や、舞台で使った小道具、膨大な衣装の数々。どれを残し、どれを手放すのか、親族の方々の精神的疲弊は凄まじいものがあったと聞いています」(前出・芸能関係者)
一部の貴重な台本やトロフィーは関係各所や記念展示イベント等へ引き取られたものの、生活の痕跡そのものは、ひとつ、またひとつと丁寧に削ぎ落とされていった。
解体更地化か、それとも新たな継承か:喜劇王の城が辿る最終章
2026年現在、不動産業界筋によれば、この土地と建物をめぐる権利関係の整理は最終段階を迎えているという。建物を取り壊して複数の区画に分譲する更地化プランと、建物の強固な構造を活かしてリノベーションを施し、法人保養所や富裕層向け邸宅として再流通させるプランの双方が水面下で検討されてきた。
「更地にして土地を細切れに売却するのが最も手離れが良く、買い手も見つかりやすい。しかし、志村さんが人生をかけて築き上げたあの城を取り壊すことには、関係者全員に強い心理的抵抗があった。年月が経ち、ようやく感情論と経済的合理性の折り合いがつき始めたのが今の状況です」(地元不動産関係者)
夕暮れ時、三鷹の豪邸を見上げると、かつて主が明かりを灯していた2階のリビングは暗闇に沈んだままだ。しかし、その重厚な佇まいは、数々の名作コントを生み出し、孤独と戦い続けた男の確かな証として、今もなおそこに在り続けている。喜劇の巨星が遺した最後のステージは、静かに、そして確実に、次なる結末へと向かっている。 (出典: 志村 けん 家(Yahoo!ニュース))